孤独と銃と美女の映画:「バッファロー’66」が好きなら→「タクシードライバー」もオススメ!

バッファロー’66」はヴィンセント・ギャロが監督・脚本・主演を務めたヒューマンドラマ映画。「タクシードライバー」はマーティン・スコセッシ監督によるヒューマンドラマ映画。

2つの映画の関係性をご紹介します。

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「バッファロー’66」に見る「タクシードライバーへのオマージュ」

「バッファロー’66」は「タクシードライバー」へのオマージュであると同時に、それぞれの時代背景を元に”孤独”を描いている。ポスター(パッケージ)画像から既に似ているのは偶然ではないだろう。あらすじを完結に言えば、どちらの映画も、孤独を抱えた男が運命の女性に会いながら銃で復讐を果たすストーリーだ。

「タクシードライバー」では主人公を演じるロバート・デ・ニーロが両親にカードを書くシーンがあり、政府の仕事をしている、ベッツィと付き合っているといった嘘をつく。一方で「バッファロー’66」では主人公を演じるヴィンセント・ギャロは両親に電話をかけ、政府の仕事で遠くに行っていた、妻をつれてかえるといった嘘をつく。「バッファロー’66」は1990年代に「タクシードライバー」を再現しようとしているのである。しかし、年代つまり時代背景が異なれば、映画もそれに応じて変わってくる。

「タクシードライバー」ではベトナム戦争帰りの主人公が、都会のタクシー内で孤独を抱え、大統領候補の襲撃失敗を経て、売春宿を襲撃して裏社会からアイリス(ジョディ・フォスター)を救った英雄になる。泥沼のベトナム戦争が終わっても、社会への不安や不満が充満している時代において、社会的な孤独を描いているのである。だから、アイリスもベッツィも主人公を救えない。ラストシーンでもタクシーに乗る主人公の目には狂気が宿ったままである。

一方で、「バッファロー’66」では刑務所帰りの主人公が、個室トイレの中で孤独を抱え、ストリップ劇場へ個人的な復讐のために乗り込むが、結局馬鹿らしくなり、レイラ(クリスティーナ・リッチ)の元へ帰る。これは明らかに個人的な孤独を描いている。1990年代そして今もそうかもしれないが、社会的にどう生きるかより、個人的にどう生きるかの方がよっぽど重要になってきたのである。個人的な孤独は、個人の力で救うことができる。だからレイラ(クリスティーナ・リッチ)の元へ帰る主人公は救われたのだ。